人生の節目に登場する電報

担任の先生からの嬉しい電報

私は昭和30年代の生まれですけれど、当時は小学校の担任というのは普通は1年間を通して同じ先生が受け持つ事が多いかと思います。けれども私が小学校3年生の時は、1年間で3人の先生が入れ替わり担任になりました。最初に受け持ってくれた先生はお腹に赤ちゃんが出来たということで産休に入ってしまい、その後は新任の先生が担任を受け持ってくれる事になりました。
その2人目の先生はとても若い女の先生だったのでクラスの皆ともすぐに打ち解けて仲良くなる事ができました。みんな先生の事が大好きだったので、学校が休みの日に、1度先生の家まで遊びに行った事もあります。けれどもその先生も何かの事情で他の学校に異動する事になってしまい、結局もうすぐ学年が上がるという3月頃になってから3人目の先生と代わる事になりました。
3人目の先生とは一緒に過ごす期間も短かったのであまり思い出も作れないままでした。そしてそれから私たちが6年生になり、卒業式を迎える日に思いもよらないプレゼントが届きました。卒業の祝辞を紹介する時間の中で、私たちが3年生の頃に担当をしてもらった2人目の先生からお祝いの電報が届いていたというのです。全校生徒の前でその先生が送ってくれた電報が読み上げられ、私たちの事をとても好きだったという事が伝わってきました。私たち当時の生徒はみんな感動してしまって、卒業の事以上に電報の方が印象に残ったくらいでした。

電報の歴史

昔の主な連絡手段といえば、電報でした。電報は電話よりも先に使われていた連絡手段です。近年、スマートフォンやインターネットが普及し、電報はあまり使われなくなりました。電報はいつ頃から使われるようになったのでしょうか。日本で電報が初めて使われたのは、明治時代のことです。当時はまだ電話がなかったので、家族や親類の危篤などの急な連絡を伝える時に使われることが多かったといわれています。
それまでは遠くに住む人に連絡する手段がなかったため、電報のサービスは当時の人たちにとって画期的なものでした。文字数に応じて、金額が決まっていたため、できるだけ短い文章で伝わるよう、様々な工夫がされていました。例えば試験に合格した時の「サクラサク」という文を考え出したのもこのためだといわれています。
このようにして全国で電報のサービスが利用できるようになりました。その後、電報は郵便局で受け付けるようになり、電話の普及に伴い、電話での受付けが始められました。大正時代になると、電報のメッセージにタイプライターが使われるようになり、昭和になって台紙のついた電報が出回るようになりました。日本では1960年代に最も電報が利用されたといわれています。

POST LIST

2017年07月25日
思い切って電報を使ってみようを更新しました。
2017年07月25日
人生の節目に登場する電報を更新しました。
2017年07月25日
心に刻みつく電報という存在を更新しました。
2017年07月25日
電報の作法と効用を更新しました。

CALENDAR

2017年8月
« 7月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

PICK UP

心に刻みつく電報という存在

かわいかったぬいぐるみ電報 私がまだ中学生くらいの頃、2回しか会った事はないけれどとても大好きなおじいさん…

READMORE

思い切って電報を使ってみよう

新郎新婦に合わせた個性的な電報 電報のイメージというと、よく昔風のドラマやアニメなどでは、「○○が危篤、連…

READMORE

人生の節目に登場する電報

担任の先生からの嬉しい電報 私は昭和30年代の生まれですけれど、当時は小学校の担任というのは普通は1年間を…

READMORE

Copyright(C)2017 メール全盛の時代であるからこそ見つめ直されつつある電報 All Rights Reserved.